インタビュー

 

長谷山さん

入社10年

―入社は何年になりますか?

入社10年目です。2011年春、比治山大学の短期大学部の美術科を卒業して新卒で入社しました。

―入社動機は何ですか?

はい、大学の美術科彫刻コースに入っていまして、木彫とか木に関わる事がしたくて希望しました。

―木に関わる仕事がしたかった?

大学では、短期大学プラス専攻科っていうので、短大終了後さらに1年大学に行ってその専攻科の時に彫刻をやり始めたんです。でも、1年間では学び足りなかったなあと思う所もあったんで。仕事にもなって、かつ、自分が知識も付いて、技術も付くようなことにもなればいいのかな、という目的もあったので、木工会社を選んだ、ということです。今でも制作活動してるんですけど、そういう技術とかを身に着けたいというのもありました。

―木に関わる仕事がしたいということですが、いきなり学校を出たばっかりでどうでした?

仕事の経験が、学生の時のコンビニのバイトしか無かったんで、それと、サービス業と製造業の違いというのは最初ビックリしました。

―最初何を担当したんですか?

最初は組立で、フットの梱包とか、ヘッドの梱包とかです。

―じゃあ、木に関わる仕事っていっても・・・

最初、違うのかな、と(笑)で、最初、設計に入ってもらいたいという話だったんです。そのために組立からスタートして、全部の部署を回っていろいろ経験して欲しいという話だったんで、一応我慢したというか・・・(笑)。

自分で何を学んだらいいかな、と思いながら、色んな人に声をかけたりとかしながら勉強しました。

―学生時代は、美術関係だったわけでしょう?会社では、美術っていうよりも、実用的なものづくりですよね?その辺の違いってどうですか?

結構大きいというか。だいぶ差があるなあと思います。工業と芸術ってまったく別々のものなので。それもあって、実は宮島で、ろくろ細工っていうのを一時期させてもらってたんですよ。お椀を作る細工を。それはもう伝統工芸なんです。とにかく最初は色んな知識を増やしたい、技術を身につけたい、という目的で色々経験を積んできました。

―今も美術作品を作っているのですか?

はい。同級生の卒業生のメンバーで、グループ展を毎年やっているんです。

―作品は大きいの?

今はアパートの2階に住んでいるので、なるべく自分で抱えられるサイズですね。大学の時は女子8人がかりで、というような大きいのを作っていましたが。


―彫ったら木くずが出ちゃうでしょ?

出ますね(笑)すごいです。

でも、クスノキなので、いい香りがします。(笑)防腐剤にもなります(笑)。

―その、作品を作るにあたって、仕事のこんなことが活きているなっていうような所はありますか?

以前社長に褒められた事があるんですけど。彫刻をやっていると、頭の中で360度の立体のイメージが出来ているから、設計とかの図面とかの話をしたときに、すんなり入りやすいよね、と言われたことがあります。

―逆に、仕事でやっている事が趣味の製作に活かされたっていう事や、違う発想が浮かんで来たようなこととかないですか?

ありますね。現場の作業だけじゃなく、業務の一環で色んな資料を作ったりする経験が、グループ展の運営などに活かされてます。

それから、これはちょっと特殊なんですけど、舛元社長が青年会議所に所属している関係で、庄原市の「よいとこ祭り」っていうお祭りの実行委員会に会社から出向させてくれていまして、会社の中だけでは学べない事や、社外の色んな人と会ったりとか、そういう大きな祭りの運営の方法とかもいろいろ学べて、それもかなり大きいかなって思います。

―「よいとこ祭り」の実行委員は長い間やっているんですか?

はい、2年目からずっと。去年は「キッズパレード」のパートリーダーをさせてもらいました。

パレードに参加する小学生対象のパートなんですけど。それの運営というか、補佐をやらせてもらって。

今までの人達だったら、子どもが居て、保護者のつながりもあったりするので、やり易かったかなと思うんですけど、私は子どもがいないので(笑)そういうやりとりとか、全然わからなくって。逆にそれもあって、保護者の方が優しくして下さって。それで、すごく学んだかなーと思います。 

―そういう活動を通じて、知り合いとか、友達とかできたりするんですか?

そうですね。たまにご飯を食べに行ったりとか。問題なのは、仕事が終わる時間がバラバラなので、急には誘いにくかったりするし、約束していても、仕事で新製品とかが来るとどうしても、無理になることとかもあるので、難しいですね。

―庄原での生活ぶりはいかがですか?庄原は雪が多くて住みにくいということは無いですか?

全然住みにくいということは思わないですね。

三次も近いので、買い物の便利もいいです。全然、そういう意味での不便さは感じないです。

―学生の時のお友達と今も交友が続いておられるということですが、学生だった頃と比べて、長谷山さん変わったよね、とか言われたりすることはありませんか?

すごい痩せたって(笑)。大丈夫なん?って言われたことがありました。(笑)

他の子は結構、なかなか自分のしたいことと仕事を結びつけるのが難しかったりして、転々と仕事を替わっていたりして。その中で、長く続いてるのはすごいよねと言われたりはしますね。

―長く勤め続けられる理由は何かあるんですか?舛元木工ってどんな雰囲気の会社ですか?

やっぱり、会社から得た知識を自分の人生の中や作品作りの方に活かそうと思っているの所があるからじゃないのかなと思います。

それから、会社の人で、嫌な人が居ないので(笑)。

最近は忙しさに追われすぎて、ちょっと余裕がないですが、以前は結構、バーベキューをしたりとか、イベントとかもありました。社員同士仲がいいですね。

―製造業って一般的に女性が少ないじゃないですか?今、女性って3~4人ですか?

いいえ、もっといます。事務所に今5人、現場に6人。10人くらいいますね。


―女性の社員同士で何かやったりとか、そういうのは何かありますか?

ありますね。まあ、女子会みたいな感じとか。普通にご飯を食べるだけなんですけど(笑)鍋をやったりとか。誕生日を何か月かをまとめて。それが、今忙しくて、皆の予定が合わなくて、ズレにズレてしまって(笑)

―その時にはどんな話がでます?

う~ん、仕事の話とか、家の話とか(笑)子供の話とか、若い頃の話とか。私たちは独身なんで既婚のかたに「今の旦那さんとどうやって出会ったの?」聞いたりみたいな(笑)女子トークとかですね。

―仕事をやっていて、最初は慣れない仕事で、こんな時に失敗しちゃったとか、何かありますか?あるいは、つらかった事とか?

一番つらかったのが、最初は組立に行って、その次に加工の部署に行って、NCルーターっていうのを動かしていたんですけど、それを2台同時に使えと言われて、どうやって使うの?と。

1台でもいっぱいいっぱいなのに、もう1台が止まってたりすると、「止まっとるよ」って怒られて。それをどうしたら回せるかを考えたりとかして、なかなか出来なかったのが結構辛かったというか、悔しくて。

タイミングとかが、やり始めで全然つかめてなくて・・・。

―それが今はもう出来るようになった?

製品の流れとかが分かってきて、この製品の時なら、この時にこっちを離れてこっちを動かして・・・とやればいいかな、とか、3台あったので、もう一人使っている人がちょっと手が空いてたら、セッティングの作業とかを、ここまでやってもらえないか、って頼んだりとかして、回せるようになりました。

―逆にこんな時楽しかったっていう事や、嬉しかった事はないですか?

最初はNCルーターの機械のセッティングだったんですけど、今はプログラムを作ったりとかしてて、それもやり方を教えてもらって。最初にそのプログラムを作って、その動きがどう動くのかな~って、すごくハラハラしてて、実際思った通りに動いた時はすごく感動しました。

何しろ文字が、日本語じゃないので。英語と数字だけなので。XとYとZ(笑)。なんとなくわかるけど、もしプログラムを間違えてたら、とんでもない動きをしたりとか、製品を壊したり、機械を壊したりする可能性があるのはわかっているから、それが不安で不安で仕方なくて。で、ちゃんとやった通りに動いてくれた時はすごく感動しました!

―色んなことを経験して来ましたね?将来の目標とか、夢とか何かありますか?

目標は、子供も欲しいので、パートナーも探していかなきゃいけないし、そういうバランスも考えながら、制作活動も勿論続けて行きたいので、そのバランスをいかにとるのか、それが問題です。

グループ展が、今年が5年目なんで、とりあえず目標は10周年を迎えよう、というつもりでいます。

10人くらいでやってるんですけど、結婚とか、出産とかで休む人がいるから10年をみんなで迎えられたらいいねっていうのがとりあえず目標です。

―それはぜひ、頑張って下さい。

 最後にあなたにとって舛元木工って、どんな会社ですか?

私は新卒で入ったので、社会について学ばせていただき、技術的にも色々教えてもらって身につきました。いろいろ親身になってくれて、感謝しています。

―ありがとうございました。